ジミ・ヘンドリックス(Wikipediaより)
左利きのギタリスト ジミ・ヘンドリックス
前回ご紹介した「最も偉大なギタリスト100人」ランキングでは一位にランクインし、亡くなってから50年も経つ現在でも愛され続けていることが分かります。
生まれはアメリカ ワシントン州シアトル。幼少期は母親の影響で先住民チェロキー族の影響を受けながら育つ。
チェロキー族の昔話を聞いて育ったことは、彼の生み出す音楽に表れています。
ヘンドリックスが生まれた当時は第二次世界大戦の最中で、父親は出征中で母親は出奔のため、母親の姉夫婦に育てられた幼少期だったようです。
多くのミュージシャンと同じくヘンドリックスも、ギターを始めたころはレコードの真似からで独学でギターを習得していきました。
青年期のヘンドリックスは、アマチュアバンドを結成し音楽の活動をしていました。この頃には既にアメリカではNO.1に輝いていたとか。
徐々に皆が彼の才能に気づき、有名ミュージシャンの耳にヘンドリックスの名前が入っていくようになりました。
その後1966年に渡英。ここから彼の「ジミ・ヘンドリックス」としての人生が始まっていきます。
ですが、アメリカ生まれのブルースに影響された自分の音楽が受け入れてもらえるのか、不安だったという話もあります。
ロンドンにてバンド「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」を結成。イギリス国内のクラブで活動を行い、デビューシングル「Hey Joe/Stone Free」は全英4位にランクインするヒット作となりました。
アメリカの伝統的なブルースをベースにしているけれど、サイケデリックで唯一無二なダイナミックなサウンドには、音楽ファンだけでなくプロのギタリストやミュージシャンも虜でした。
当時のロックミュージックを牽引していたのはビートルズやクリームなどでしたが、そこに彼のようなモンスターのようなパフォーマンスや演奏力が飛び込んできたのです。
「ヒットする音楽」ではなく、魂が震えるような音楽を求めて続けていたようで、そんな彼の姿に皆胸を打たれたのでしょう。
この時代の凄腕ギタリストたちは、真似できない速弾き・ギター1本とは思えない音の厚み・ギターを破壊するパフォーマンスなどが、凄腕と呼ばれるきっかけになったのかもしれないですが、ヘンドリックスの場合は表現力やアレンジ力といってもいいでしょう。
楽譜にとらわれない演奏方法やその場のフィーリングやアドリブで出来上がったものも多く、その時の彼にしかできないサウンドこそがヘンドリックスの魅力だとも言えます。
渡英後、仲が良かったのはローリングストーンズ初期リーダー ブライアン・ジョーンズと言われており、人脈を築いていけるよう手伝っていたとか。
アメリカ生まれの黒人であるヘンドリックスが、イギリス人と関係を築いていくことは、当時ではきっと大変なことだったろうと感じます。
ですが、彼の演奏やパフォーマンスがそんな壁を感じさせないほどに、交友関係や信頼関係を強くしていったのでしょう。
ビートルズのポール・マッカートニーは、「ジミ・ヘンドリックスがいなければ、モンタレー・ロックフェスティバルにはならない」と絶賛していたとか。
また、エリッククラプトンが活動していたクリームは、ジミ・ヘンドリックスの演奏に触発され生まれたバンドとの一説もあり、
ヘンドリックスは、自分がエリック・クラプトンと同系のギタリストだと感じていたそうです。
エリッククラプトンについては、こちらのブログをどうぞ。
そして、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは、1967年夏にアメリカで開催されたモンタレー・ロックフェスティバルに出演し、母国アメリカでも一気に人気を獲得しました。
イギリス内でジミ・ヘンドリックスを巡る