アン(Anne Stuart)
photo by: Bank Hall
1702年、ウィリアム3世死去すると、同年、アンが女王として即位しました。
1707年には、イングランドとスコットランドを合併し、グレートブリテン王国を誕生させる”合同法”を成立させます。
それにより、アンはグレートブリテン王国(Kingdom of Great Britain)の最初の女王となりました。
アンは、精力的に国務を務め、閣議に参加したり、有力な政治家と意見を交えるなど、イギリスを繁栄へと導いていきました。
私生活では、ブランデー・ナン(Brandy Nan:ブランデーおばちゃん)とあだ名がつくほど、大のブランデー好きだったそうです。
アンは、子宝に恵まれなかったため、後継者がいませんでした。
そのため、血縁の遠いドイツの”ハノーヴァー家”がイギリス王室として王位に就きます。
これにより、スコットランド起源のステュアート王朝は、アン女王で終焉を迎えました。
このハノーヴァー朝は、脈々と続き、現在のイギリス王室”ウィンザー朝”の始祖とされています。
シンメトリー(左右対称)